@あふぁつつつ

総集編どうもありがとうございます戦国時代一つの謎を解き明かしても
まだまだ謎だらけの出来事とかありますからね

@rion4487

地元の紹介ありがとうございます。
桜もいいですが花火も有名ですよ。

@ころママ-q1z

他の方も書かれてますが、この時代は妻子よりも家の存続が大事だったから家康が駿府に戻らなかったのは当然の行動です。氏真も領土こそ失くしたけど、京都で亡くなる前に(結構長生きした)領地は失くしたが家名は存続したから勝ち組だ、みたいな事を言ってるから家名を守るってのが一番大切だったんでしょうね

@せいやせいや-t5w

ナイス大津市の役人さん🖐️

@カテジナ

吉良氏みたいに生き残り民衆から悪役扱いされた圧倒的な勝ち組

@わし-f3n

戦国最大の謎、本能寺の変
明智光秀は細川忠興当ての手紙で謀反について「他意はない」と記述しとるから、黒幕説はあり得ない。じゃが、いまいち動機が不明じゃ

@中山隆司-i3h

家康は、現代では、温厚で気が長いイメージだけど。
史実だと、超短気でイケイケ。
信長が、同盟結んだのも、「コイツ、敵に回すとめんどくさい」と思ったんだと思う。
※桶狭間のあとの織田家との紛争を追うと、色んなトコに出没して、さんざん暴れまわってる。

武田家との紛争では、信玄相手に一歩も引かないで、(信玄と敵対したくない)信長を困らせてるし。
※信玄も「アイツ、何とかしてくれ」と信長に頼み込んでる。

しくじれば、家が滅亡するようなリスクを、生涯に、何度も取ってる。

イメージと違って、かなりヤバイ人。
個人的には、武闘派ヤ〇ザの、若頭みたいなイメージ。

@齋藤正則-o6b

ありがとサンキュー😉👍️🎶

サンキューありがとうございまする。


寝ながらウタウタしながら楽しませて頂きます✨😌✨

m(._.)m

@samonz

二人家康って本は面白いよ。

@オダ吉法師

「Up主サン”考察が現代の価値観ですよ“
・家康は幼少期人質として過ごした。
(他の大名家の内部事情に精通)
・家康は6才〜8才を織田家で過ごして居る
(当時の信長は“うつけ”と評されて居たが
同年代&以下には慕われて居たし統率指揮能力、戦術力も高く評価されて居た。
当時の小姓衆や丹羽等々は信長に付き従い裏切る事は無かった。=当然、家康も信長の実像を見知って居る。)
・家康は桶狭間の合戦で信長の能力が更に成長して居る事を実感して居る。
(信長の気性も知って居るので軽々しく寝返ると自身が軽視&警戒(裏切る)される事を知って居る)
・家康が岡崎城入りするのは必然。
(当時は“家族の為”に生きるのでは無く
“お家の為”に生きるのが鉄則)
・家康は今川の内情に精通して居るので
“応援が来ない事を知りつつ利用し
独立の大義名分”を手に入れた。
・家康は信長の力量に絶対的信頼を持ち
信長と同盟を結んだ。
・信長も家康の力量を信頼し織田の後方を任せた。」

@こじろこじろ-g7i

トランプかよ

@因果応報-b5p

しんちょう公記な、

@Yumeji-Haruka

徳川家康を好きな人には本当に申し訳ないのですが、私は(個人の感想です)戦国武将の中で最低最悪に大っ嫌いな武将です。
まず、【男らしくない】。これは全ての武将に看破されていて当然舐められている。次に【土下座すればなんでも許してもらえると思っている】。本来なら責任をとって腹を切らなければならないような大失態を犯した時も、【どんなに恥をかいても、どんなに笑われようと生き残れば勝ち】みたいな無様な考えを持った奴で、結果としては徳川幕府を開きましたが、その政治は悲惨で、民衆はその苛立ちや憎しみから【真田十勇士】なる物語を作りましたね。悪辣非道な者が真面目な庶民を食い物にしてこの世の天国のような生き方をしているのを真田幸村を筆頭とする十勇士が、闇夜に紛れて成敗してゆく物語。実際は真田幸村以外は実在しない人物で架空の存在ですが、個性がとても強くて中には本来徳川家に使えるはずの伊賀忍者までいます。徳川幕府のあまりの悪政に真田幸村の家臣となった勇士です。徳川家康以降の子孫はそれほど嫌いではありません。家康の悪いところを一切受け継いでいないため、むしろ好きまであります。ま、【どんなに情けなかろうが、どんなに惨めだろうが、生き残ることこそ勝ちである】を貫き、最終的に徳川幕府を制定したのだからその点だけは評価できると思います。

@片岡学-j5t

天皇、公家、家康の話になるとどうしてつまらないのか。